忘れられない瞬間を 集めて

140文字には収まらないKis-My-Ft2の7人や藤ヶ谷さんについての思ったことを載せていきます。時々他にも好きな方のお話をするかも。

『そして僕は途方に暮れる』を観て

 まずは『そして僕は途方に暮れる』全公演終了、おめでとうございました!!

1人の観客として、カンパニーの皆さんがケガ等に見舞われるようなことなく、また舞台での大きなトラブルみたいなものもなく千秋楽を無事に迎えられて良かったなと思っています。

 

 では本題へ。

今回ご縁に恵まれてありがたいことに2回観劇することができたのですが、ここでは自分のための備忘録も兼ねて観劇して感じたことを書かせてもらいたいと思っています。

ただし私自身は演劇そのものにもキャストの皆さんについても詳しいわけではありませんので、「そんなの当たり前でしょ?」と思う部分もあるかもしれません。

また内容のネタバレを含みますので、読んでいただける方にはその2点ご了承をいただきたいと思っています。

 

 

 1.印象に残ったキャストの方々の演技

まずは特に印象に残った演技についてお話していきたいと思います。場面を挙げながらの説明になるので、良かったら舞台のあらすじも一緒に見ていただくと分かりやすいかな。

そして僕は途方に暮れる | Bunkamura

 

 主人公・菅原裕一の彼女、鈴木里美役の前田敦子さん(以下:あっちゃん)。

裕一に実は自分も浮気をしていたと告白した里美が、それを聞いてもう1度家を出ていく裕一にかける「裕ちゃん」の言葉。出ていった後も続くその叫びが悲痛で、体を折り畳んで泣きながら呼ぶ姿に胸が締め付けられました。

それから、主演の藤ヶ谷さんが何度か言っていた舞台は生ものというのを強く感じたのもあっちゃんの出てくるシーンでした。

冒頭で裕一に浮気を問い詰めるシーンで、1回目に見た時は「〜だよね?」等語尾に「ね」が付くことが多くて、あっちゃんの高めの声も相まって少しヒステリックな感じがしていましたが、2回目の時は語尾に使う「ね」が減ったことで年相応の女の子の感じが増していました。

浮気の告白のシーンも、2回目の時は蚊の鳴くような、絞り出すような声で、その声だと普段は優しくてしっかりしている里美の中の弱さみたいなものが垣間見えて、それもまた良かったです。

 

 裕一の母、智子役の筒井真理子さん

リウマチの演技、それから子供達が家から巣立っていって普段は一人で暮らしている母親の感じがすごく自然でした。息子の裕一が突然帰ってきた理由よりも先に喜びが出る所や、暫く会っていなかった分少し他人行儀な所。私は時々遊びに行った際の自分の祖母とのやり取りを見ているような感覚になりました。

印象に残っているのは、実家に戻ろうかなと言う裕一にそれならと宗教への入団を勧めるシーン。

怪しいからやめなよと否定する裕一に対して、突然取り乱す智子さんの迫力に箸立てが実家のセットの外まで飛んでいく程の勢いも相俟って思わず肩が震えました。少しヒステリックさも感じたけれど、たとえ怪しくても、自分の心の拠り所を信頼する人に否定されて取り乱す気持ちは分かる気がしました。

 

 

 2.印象に残った台詞

続いては印象に残ったセリフについて。

1つ目は江口のりこさんが演じた裕一の姉、香が実家で裕一に言ったセリフ。

「親はいつ死ぬか分かんないんだから。いや私はいいよ?あんたが死ぬまで後悔するだけだから!」

「結局周りがどうにかしようとしてくれてんじゃん。ありがたいね!いいご身分だね!」

主人公の裕一の気持ちや行動に共感できてしまう私にとって、この2つを含む香の台詞は刺さるものばかりでした。自分も同じようなことを言われた経験があった分、よりそう感じたのかもしれません。

彼女や友達と違って簡単には縁の切れない家族だから、これだけ厳しい事が言えるのだろうな。香は菅原家の中で1番しっかりしている存在ですが、性格の違いというよりも兄弟だから言えることだったんだと思います。

 

2つ目は板尾創路さんが演じた裕一の父、浩二の「俺とお前がいるここは牢屋だ」という台詞。

実家からも出てきてしまった裕一が父親と一緒に暮らすようになって暫くしてから言ったこの言葉にはハッとさせられました。

浩二さんは裕一より更に色々なことから逃げ続けてきて、遂に周りには誰もいなくなっている人で、どうしようもなくなった時には「面白くなってきやがったぜ」と思うことでまだ逃げ続けているのに、

それでも逃げること=良くないこと(罪を犯した罰)だと居心地の悪さを感じているんだ、と思いました。

人間は完全にクズにはなりきれないということなのかな。

 

3つ目は、裕一が自分の実家(菅原家)から帰る親友、伸二に別れ際にかけた台詞。

「俺はお前の失敗作、見たことないよ」

逃げ続けて追い詰められた祐一に、「今回の事はお前(裕一)の失敗作みたいなもんだったんじゃないの(ニュアンス)」という前のシーンの伸二の台詞を受けた言葉です。

ここは後の展開に繋がる重要なシーンでもあるのですが、私は同じことを自分の親友に思った経験がある点で印象に残っています。そして今でも、私は彼女のことをそう思っています。

 

 

 3. 主演の藤ヶ谷さん(以下:がやさん)について

今更ですが、Kis-My-Ft2及び今回の舞台で主演を務めた藤ヶ谷さんのファンとしてもお話をさせてください。

舞台の上のがやさんは菅原裕一でしかありませんでした。里美の家の中での様子、友人や家族への受け答え、性格。普段、テレビや雑誌やコンサートで見せるアイドルの藤ヶ谷太輔はどこにもいませんでした。

特に、母親が倒れたと聞いて一度は出ていった実家に戻った時、皆の前で土下座しながら心情を吐露したシーン。

皆に悪かった、申し訳ないと思ってる。頑張ろうとも思ってる。でもこれだけ追い詰められても実際の自分は何も変わってない。自分の中で何が本当なのか分からない。変わろうとはしている。でも何をすればいいか分からない。変われる保証はできない。だから何かでしかない。でも申し訳ないという気持ちは確かにある。

こんな堂々巡りのような心情。でも私も全く同じ事を思ったことがあります。今も心の隅にそう思っている部分があります。だから苦しいくらいに裕一の心情が分かりました。

 

1回目のカーテンコールはまだ裕一のままで、3回目にようやくいつもの姿に戻ったような感じがあったがやさん。あっちゃんも1回目はまだ里美のままだったように思いました。

泣く演技は体力を使うと何度か耳にしたことがありますが、本人が雑誌のインタビューでも話していたように裕一と同じ要素が自分の中に全くないがやさんにとって、裕一になることは凄く大変なことだったのだろうと思います。

私個人の意見ですが、勉強を教える時、その教科がもともとできる人よりも苦手だった人が教える方が、できない人の気持ちが分かるから良いといわれるように、ダメな人がちゃんとしている人のことを理解しようとするよりも、ちゃんとしている人がダメな人のことを理解しようとするのはずっと難しいと思うのです。

だからこそ、舞台をすごく大変だけどすごく楽しいと捉えていること、新しい自分を引き出してもらえることが喜びで、初日から稽古場に心を開いて挑んでいたこと。私にとってそんながやさんの人として尊敬できるところをまた新たに知ることができた舞台でもありました。

お芝居を沢山やってみたいと以前話していたがやさんにとって、今回の舞台の経験は意識しても無意識でもこれからの演技に確実に還元されていくことだと思っています。

 

 

 4.舞台は生もの

1.のあっちゃんについての話でも触れましたが、2回観劇させていただいたことで舞台は生ものであるということを沢山実感することができました。 そう感じた場面についてお話していきたいと思います。

1つ目は実家から帰ってきた裕一に同じく実家から帰ってきた里美が自らの浮気を告白するシーン。

里美の告白を受けて裕一が質問をするまでの間が絶妙でした。1度目の観劇ではその間をあまり意識していなかったのですが、後ろめたくて、打ち明けたことに裕一がどんな反応をするか気がかりな里美と、自分の逃げへの後ろめたさと里美の行動に対する怒りや悲しみみたいなものを噛み砕いている裕一が、それでも互いに歩み寄って話し合おうとする葛藤みたいなものがとてもよく表されているように感じました。

 

2つ目は香が自分の家に突然やってきた裕一にその理由を問い詰めるシーン。

裕一のことを責めながら香はペットに餌をあげるのですが、2度目に観劇した日にはカゴの扉がどこかに引っかかってしまっていたのか、引っ張っても開きませんでした。何度か引っ張っていましたがなかなか開かず、そこで裕一に対しての苛立ちに扉が開かない苛立ちを加えて餌も少し投げやりに戻した江口さん。それが観客の笑いにも繋がっていて、さすがの機転だなと感じました。

 

また、全体として2度目の観劇の際には感情表現の緩急が大きくなったように感じました。

例えば伸二の家で伸二が洗濯してくれた自分の服をどうでも良さそうに放る裕一は結構大胆にブワッと投げていたり、

バイト先の田村先輩は裕一にキレる時は口からめっちゃお酒が飛んでいたし、スマホの取り合いの末に転んだ時は勢いが良すぎて本棚の上の荷物が綺麗に全部落ちてきていたり。

1.でも触れた智子さんが取り乱したシーンでは、裕一もそれを止めようとした時にお箸を床に転がしてしまっていたりして、そういったシーンの数々からは登場人物達の突発的な感情の爆発感を感じることができました。

 

このようにその時によって印象に残るものは違っていたり、観客も笑ったり笑わなかったり、その場でその1度きりしか見られないものを観ているんだと実感しました。

そして舞台全体に対しては、完成された映像作品を見ているかのような自然さとそつがなさを感じました。舞台のことにはあまり詳しくありませんが、生の舞台の場でそう見えることは凄いことなのではないかと思います。

 

 

 5.衣装のこだわり

舞台の内容とは少しずれますが、衣装にもこだわりがあるように感じたのでそのお話も。

端的に言ってしまうと、登場人物の性格によって衣装の色味が分けられているように感じました。逃げている裕一と父・浩二の服はグレーやくすんだ色味の服を、他の6人(ちゃんとした人?)は白やパステルカラー等の明るかったり鮮やかな色の服を着ていて、その色分けによってライトが当たっても裕一達の方が暗く見えたり、パッと見た時の印象がその人物の印象を助長させているように感じました。

里美が出勤した後に裕一がカーテンを開けて凄く眩しそうにしていたので、光の当て方も衣装に近い役割を果たしていたのかなと思います。

ちなみに4.でも触れた里美が裕一に浮気を告白するシーンでは2人に当たっていた光は同じ位の明るさのように感じて、裕一の衣装にも白い模様が入っていたので、その時には2人のダメさの度合いが同じ位だと表していたのかなと個人的には感じました。

 

 

 6.私が『そし僕』から学んだこと

 そろそろまとめに入っていきたいと思います。

ラストシーンまでを観て、私は改めて逃げてはいけないんだと言われた気がしました。逃げてしまってからそれを反省して行動を起こした時、必ずしも裕一のような展開を迎えるとは限らないけれど、追い詰められるほど逃げても自分の人生からだけは逃げることはできないから、逃げてはいけないんだと。

裕一はフリーターですが、バイトもしているし家事も全くできないわけではないし、身近な人にお礼を言うこともできます。だけど逃げ続けたことで、不安定な立場というのも相俟って失ったものがいくつもありました。だから裕一のように途方に暮れたくないのなら逃げないで向き合わなければならない、頑張らなくてはいけない、そういう事なのだとそれ以外のやり方なんてきっとないんだと思いました。

観劇するまで、心のどこかでこの舞台の中に途方に暮れたらどうすればいいのか解決策みたいなものが見出せるのではないかと思っていましたが、私が見つけ出せたのは既に分かっていたこれらのことでした。でも裕一の逃亡記を通して得たそれらは、ただ言葉で聞くよりもずっと説得力をもって私の中に入ってきました。

作・演出を担当された三浦大輔さんが自分の経験を基にしたと伺いましたが、これを舞台にしてくださった三浦さん、この舞台に出会わせてくれたがやさん、そして強い共感と学びを得られるほどの舞台を作ってくださったキャストやスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

 

 

 7.舞台のマナーについて

最後にこのお話だけさせてください。

私は携帯の電源を切っていない方や開演直前のアナウンスが始まってもなかなか落ち着かない方々に遭遇しましたが、他にも劇場外のモニターを撮影しようとしていたりと色々な方がいらっしゃったようですね。

Twitterでも少し書かせていただいたのですが、休憩中のトイレが心配だったり積もる話があったりしたのかもしれません。舞台やライブ全体へ言及していた意見で書かれていたことですが、電源の切り方が分からない方もいたのかなと思います。

私はひっそりと藤ヶ谷さん及びKis-My-Ft2の7人を応援している身でしかないので演劇等のマナーに詳しい訳ではありませんが、自分とそして周りのお客さん(できれば会場にいるお客さん全員)が気兼ねなくその時間を目一杯味わえたらいいなという気持ちでいます。

マナーを守れていなかった方に、やられた側の立場になってみてほしいとか、ファンとして恥ずかしくないのかとか色々言うことはできるんですが、どちらの言葉も人の受け売りでしかないので、これから一人でも多くの方が気持ちよくそういう場を楽しめるように祈りつつ、そして自分が遭遇した時に勇気を持って声がかけられるように心がけていきたいです。こんな匿名の一ブログがどこまで届くかわかりませんが…

 

以上が『そして僕は途方に暮れる』を観劇しての感想です。本当に長々と個人的な思いだけを書き綴ったブログでしたが、最後まで読んでいただけた方がいたらとても嬉しいです。ありがとうございました。